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1989 ー 2019

わたしたちの想い

​サヨナラ、平成

「平成思う、故に平成あり。」

「そろそろ平成が終わる。だが俺には『平成』を語る言葉を持ち合わせていない。俺は次の世代に『平成』をどう伝えていけばいいのか」  出発点はこの言葉にあった。無数の声に耳を傾けたい。歴史の教科書にあるような、誰かによって整然と並べられた事実ではなく、平成を生きた人の、ナマの声を、ただ聴いてみたい。そう思った。

例えば修学旅行で乗るバスの中、高速道路を走る。これから過ごす数日間を思うと、バスの速度と共に、高揚が全身を駆け巡る。  ふと学生生活の区切りである旅行の感傷が、窓の外を見つめさせる。感慨に耽る目には、流れていく景色が映る。目を凝らせばその中に、そこで生活する人や家、施設の姿がある。  

「ああ、あそこに住む人たちにとって今の私は、日々の生活で見る景色の一部なんだ」不思議な気持ちがした。私は非日常の体験へ向かうのに、窓の外には、着いた先には、日常の息遣いがあるのだ。

「平成」が終わる。世界から見たら、地球から見たら、なんてことはない。続く日常の一部分である。それだけのことだ。だのに何故、私は平成を語る声を聴きたいのだろう。

二〇一八年十一月二日(金)~四(日)文化服装学院J館にて、にて、Ⅱ部ファッションショー「サヨナラ、平成」が行われる。

それぞれが思う「平成」との別れ方。集まったそれらの声は、決して美しいものばかりではないだろう。脆弱さも虚飾もある。粗野な儚さも猛々しい繊細さも。来る明日への希望や絶望、たかが人生なる無関心さも。

それらは複雑でまとまりがなかった。大きな物語も生まれなかった。曖昧模糊たる声たちはしかし、確実に平成という日常を生きた、去りゆく時代を、今を、愛しむ声たちであった。

 

あなたにとって「平成」とは?

 

「まあ結局、俺が語ろうが語るまいが、世界は続くし日常は終わらない。繰り返されてきた日常の先に俺はただ生きている、いや、生かされているだけなんだ」  平成は終わる、が、生きている限り日常は続く。誰の上にも平等に、夜が来て朝が来る。どんなに目の前の景色が荒れ果てようとも、雑多な日々に感性が萎んでいこうとも、明日はくる。皆の上にくる。

 

慣れてしまった新学期の教室、変わらない職場のオフィス、いつもの朝の満員電車。日々不変に見える景色が続く。世界が滅亡したとしても、きっとまた日常はやってくるだろう。 それでも私はあなたの声を聴いていたい。

​II部ショーとは

Ⅱ部(夜間部)に通う有志メンバーで企画・運営を行っています。

私たちは普段週3〜4日たった2時間半の授業でしか顔を合わせません。昼はそれぞれ違うフィールドを持ち、年齢や育った環境、持っている価値観も様々です。たまたま同じ時代に同じ場所で出会い、文化祭に関わりたいという同じ思いを持つものが集い作り上げていくショーは十人十色そのもの。

 

毎年多くの方に賞賛のお声をいただき、今年もまたさらにグレードアップしております。

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